お久しぶりです。

 とってもとってもお久しぶりです。


ブログお休みしている間にもお星様をつけていただいた方や、
訪問していただいた方々、どうもありがとうございますm(__)m




実は、
先週の月曜日に私の妹の旦那さんが亡くなりました。
義理の弟。。。ってことになりますが、
私と同じ1968年生まれなので、
いつも”弟”っていうのもヘンな感じでしたけど。。。
(誕生日も私より1ケ月早かったしね。。。)




闘病生活丸2年。
肺がんでした。






みんなでいつかは治る、と信じていたし、願ってもいましたが、
このGW明けから急に容態が悪くなり、誰よりも早く天国へ行ってしまいました。。。






まだまだやりたかったこともあるだろうし、悔しかっただろう、と思います。




娘(姪っ子)も6年生。
一人前の大人に成長する姿も見たかっただろう、と思います。





2年前、
病気がわかった時、がんのある場所が手術出来る箇所ではなかったため、
ずっと抗がん剤放射線治療を行ってきました。




これだけ医学が進歩しても、どうにもならないことがある。。。



何種類もの抗がん剤を投与してきましたが、
一向に良くならない状況に、本人はもとより、周りのみんなで歯がゆい思いをしてきました。







4月の後半に、
ずっとお世話になっていた病院から今後のことについてのお話がありました。





選択肢の中の一つに ホスピス治療 がありました。





彼自身、身体の痛みとも闘っていたのでしょう。
彼と妹の希望もあり、ホスピスに転院することに決まりました。





きっとね、
痛みから解放されたら、色々と考えたいことがあったと思います。
そして、体調が良ければ自宅に外泊もしたかっただろう、と思います。




でも、



ホスピスに転院して体調が良かったのが1日だけ。




あとはお薬の影響もあって、眠る時間が多くなり、
また目が覚めても現実と夢の中の区別がなかなかつかず、
きちんと話をすることもままなりませんでした。





そんな中、
ホスピスでは多くのボランティアの方による手助けもあり、
週に一度アロママッサージが行われたようです。





ちょうど調子の良い時に、このアロママッサージをしてもらったようで、
とっても気持ちが良かったらしく、
妹から、




「お姉ちゃん出来るよね、マッサージやってあげてくれない?」




と電話がありました。





まさか、ホスピスでそのようなことをやっているなんて思いもしなかった私ですが、
それから2度、マッサージをしてあげることが出来ました。





最初はずーっと眠ったままで、一度も起きることはなかったですけど。。。






次の日、



「お義姉さん、マッサージ・・・」



という彼からの言葉で、
温めたタオルで、血行が悪くなってパンパンに腫れ、冷たくなっている彼の手先や手首を温め、
軽くマッサージをしてあげることが出来ました。





どれだけの時間が経っていたのだろう。。。




最初は険しかった彼の表情がみるみるうちに穏やかになり、
ずっとつけていた酸素チューブを自ら外し、
回診にいらした先生から



「どうだ?調子は?」




と尋ねられ、即座に



「今、とっても気持ちが良くて。」




と答えるほど。





先生も




「それなら、問題ない!」




と笑って病室を出られました。







翌日、横浜に住んでいる弟さんがお見舞いに訪れた時にも
「昨日のマッサージが気持ち良くって。。。」

と、とってもうれしそうに話をしていたそうです。




一緒にいた私の主人も帰り際、病室を出る早々に




「良かったね、喜んでもらえて。」



と言うほど、目に見えて喜んでいる様子が伝わってきました。






私自身が改めてアロマの良さ、素晴らしさを身を持って体験できた出来事。
けど、
もっと早く、やってあげることができなかったのか。。。
という思いも。




これからの医療現場において、
近代医学とともに、アロマやハーブなど伝統医療も一緒に行われる環境が出来ることを願っているし、
私たちのようにきちんと勉強をしたものが
時間はかかるかも知れないけれど、
そのような環境にしていくのもひとつの役目なのかも知れない。。。





彼が亡くなってから、ホスピスでミサが行われました。
神父さんは偶然にも彼が大学生の時に彼が通っていた大学で学長さんをしていらした方でした。
体調が良い時に2人でお話をしていたようです。



神父さんは、彼の学生時代のこと、社会人になってからのこと
とっても丁寧にお話ししてくださいました。




「正直、私は彼のことを神様がお呼びになるのは早いと思います。
でも、もう苦しまなくても良いのですよ。っていう神様からのお言葉なのです。」



そう仰った神父さん。
ホスピスにいらっしゃる看護士さんや先生、ボランティアの方も加わって
とっても素晴らしい、そして素敵なミサが行われました。





ちょうど亡くなるその日から、妹がホスピスに泊り、
私の母親が姪っ子の面倒をみるために
妹の家に泊まり込むことになっていました。






でも、




そんなこと、しなくてもいいんだよ。




っていう彼からの最期の気持ちだったのでしょうか。。。








お通夜、告別式、と無事に終えることが出来、
一日は長いのだけど、とっても慌ただしく過ぎた日々。






彼が亡くなっても私たちの前ではとってもハイテンションの姪っ子は、
自分の父親の死をどう受け止めているのか。。。




ずっと入退院を繰り返し、もう2年も一緒に遊ぶことも出来なくなり、
そして、突然亡くなったわけではないので、
姪っ子自身の中でもある程度は理解している部分はあると思います。




亡くなったその日に私に、


「お父さんさぁ、○○ちゃん(←自分のこと)が昨日も病院に行ってるのに、
やぁ、久しぶり!って言うんだよぉ。
でも、ママが、お薬のせいだから仕方ないんだよ、って言ってた。」



と、どこか寂しげに言うので、



「そうだね、お薬のせいだから仕方ないね。
でもさ、お薬が落ち着いたら、ちゃんと○○ちゃんとお話したかったと思うよ。」



って言うと、小さく頷いていました。





これから先、私たちみんなで姪っ子を一人前の大人に育てなければなりません。





私自身が何不自由なく、両親に育ててもらっているだけに、
姪っ子にはそういう思いが余計にあります。






まだまだ落ち着かない毎日で、これから先のことのほうがもっと大変だと思います。




私ももっとしっかりしなくちゃ、と思います。




そして、何十年後かに天国で彼と会ったときに、




「○○ちゃん(←姪っ子)、立派になったでしょ。」




と、ちゃんと報告できるようにしないと、って思います。






色んなことを考えさせられたこの2年。
そしてこれからも、色々な思いを抱いて一日、一日を大切に過ごしていかなければ、と思います。





もっともっと生きたかった彼の分まで。。。





私もまた今までのように元気に活動できるよう、
自分に与えられた役割を頑張りたいと思います。






長文、お読みいただきましてありがとうございます。